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「人を責めるより、自分を信じる時代へ」 ―失われた目標と再び立ち上がる勇気について

誰もが一度は、希望を持っていたはずなのに

最近、満員電車の中で人々の表情を眺めていると、ふと、胸の奥に小さな違和感が生まれることがあります。
それは、「この中に、本気で何かを目指している人が、どれくらいいるのだろう」という問いです。

朝早くから夜遅くまで、同じようなスーツ、同じような表情、同じような会話。
社会の仕組みの中で、皆が“正しく”生きようと努力していることは分かります。
けれども、その目の奥に「目的」や「情熱」が宿っていないように感じるのです。

もしかすると今、多くの人が

「自分の人生を生きる」

ということを、どこかで諦めてしまっているのかもしれません。

「誰かを貶めたい」という衝動の裏側

SNSを見ていても、誰かを攻撃したり、失敗を喜ぶような言葉が目立ちます。
しかし、私は思うのです――人を貶めたくなるのは、自分が上がれないからだと。

かつて学生の頃、誰もが夢を語っていました。
「将来はこんなことがしたい」

「こんな世界をつくりたい」

と、心の底からワクワクしていました。

それがいつの間にか、

「自分には無理だ」

「どうせ世の中は変わらない」

と口にするようになっていく。
そして気づけば、自分の不安や不満を、他人への批判でごまかしてしまう。

私は、そうした現象こそが、現代社会が抱える最も深い問題だと感じています。

「頑張れ」と言いにくい時代の中で

「頑張れ」という言葉が、少し重たく響く時代になりました。

過剰なプレッシャーや比較の中で、疲弊した人々にとって、その言葉は時に「追い打ち」に感じられるのかもしれません。

けれど、だからこそ私は、

もう一度

挑戦

という言葉を取り戻したいのです。

挑戦とは、他人と競うことではありません。
昨日の自分と今日の自分を比べ、少しでも前に進もうとする姿勢です。

失敗してもいい、時間がかかってもいい。
大切なのは、

「自分にはまだできる」

と信じる力を持ち続けることです。

私が信じていること

私自身、これまで何度も壁にぶつかってきました。

理不尽さや挫折、誤解や孤独の中で、それでも前に進む理由を探し続けてきました。
そしてあるとき気づいたのです。
「人は、誰かに勝つためではなく、自分の理想に近づくために生きている」と。

人は誰しも、希望を失ったわけではありません。
ただ、見えなくなっているだけなのです。
社会のノイズにかき消されて、自分の中の“原点”を忘れているだけ。

その原点をもう一度見つめ直すことが、これからの時代を生き抜く最初の一歩だと私は信じています。

一人ひとりが「小さな目標」を持つ社会へ

すべての人が大きな夢を追う必要はありません。
「誰かを笑顔にしたい」

「今日一日を誠実に過ごしたい」

――それでいい。
その小さな目標が積み重なっていくことで、社会は少しずつ変わっていくのです。

だから私はこれからも、自分の目標を持ち、挑戦し続けます。
それが、どんなに小さな一歩であっても。

私たちはまだ、変われる。
そして、希望を取り戻せる。
そう信じています。

もし、あなたが今

「なんのために生きているのか」

と迷っているなら、
まずはほんの少し、自分の中の“理想”に耳を傾けてみてください。
それが、誰かを攻めることではなく、

自分を磨く方向へと向かうきっかけになるはずです。

挑戦とは、生きることそのものです。
私たちはみな、再び

「挑戦する生き方」を取り戻せる――そう、信じています。

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